【多拠点実践者の声 vol.1】二拠点生活を通して地域を知り、東京の人として橋渡しをしていきたい。

現在、長野県塩尻市と東京の二拠点生活をしながら、活動をされている湯浅章太郎さん。フリーランスとして地域に関わる仕事をされているかたわらコミュニティの運営もおこなっています。そんな湯浅さんに、二拠点生活についてや実現したいことについてお話をお聞きしてきました。

地域に関わることで見つけた、求められていること

――現在の仕事内容や経歴を教えてください。

湯浅さん:現在は、フリーランスとして地域に関わる仕事を任せてもらいつつ、東京にいる地域に興味のある人が集まるコミュニティ「Localist Tokyo」(以下LT)の共同代表として活動をしています。主には「地域」に関わりながら仕事をしているのですが、もともと働いていた会社では全く違う仕事をしていたんです。

大学卒業後は広告代理店に入社し、求人系フリーペーパーの営業として働いていました。お客様に採用のプランニングをしながら広告枠を販売する仕事だったので、PRの部分で勉強になりました。でも、数字を追わなければいけないことや紙媒体の難しさから見切りを付け、転職をすることにしました。
転職先は、ECサイトを運営しているweb関連の会社です。ここでは、商品企画や商品選定、PRを担当。楽しいと思えることもあったのですが、組織の考え方に合わない部分が出てきてしまい、2度目の転職活動をすることにしました。

そして、2度目の転職活動中に見つけた求人が、地方就職を考える若年層を応援する厚生労働省のプロジェクト「地方人材還流促進事業」(LO活プロジェクト)の運営者を募集する求人でした。当時、地域や地方就職という分野に全く興味がなかったのですが、その求人を見たときに「これは地方就職をPRする仕事だ。だったら、前職で身に付けたPR力を活かせるな」と思ったんです。それで、面接を受け、このプロジェクトの運営を委託されている会社で働くことが決まりました。

――もともと地域に興味があった訳ではなく、PRのスキルを活かすという観点から関わるようになったのですね。

湯浅さん:そうですね。当時僕は、地域という分野を取り巻く情勢がどうなっているのか何も知らなかったんですね。なので、とにかく自治体が開催している地域系のイベントや移住界隈の人が登壇するイベント、移住体験ツアーに足を運ぶようにしていました。1週間に1~2件は参加していたと思います。そういったイベントに参加していると「自分らしく働いてます、生きてます」という人たちと出会う機会が増え、「地域」という場所で僕自身が働くということに対して興味をいだくようになりました。
また、地域に興味のある人たちに出会い、気付いたことがありました。それが、『地域の人との接点と地域に興味がある人同士のコミュニティが求められている』ということ。特に、後者が圧倒的に足りていなかった。それで、そういったコミュニティを立ち上げようと思い、2018年6月に立ち上げたのがLTなんです。

――なるほど。そうしてLTが立ち上がったのですね。立ち上げは、湯浅さんお一人でやられたのですか。

湯浅さん:いや、僕を含めて3人で立ち上げました。地域に興味がある人同士のコミュニティをつくりたいなと思い、Facebookで「地方と関わる窓口になる東京在住者のコミュニティを作りたいなぁ」ってつぶやいてみたんです。そしたら、いいねが37個、コメントが23個も付いたんですね。それを見て「これはやるしかない!」となったんです。そして、「全く同じことを考えて、今つくっているところです。一緒にやりませんか?」とコメントをしてくれた柚木さんと金川さん(後に共同代表となるお2人)とともにLTをスタートさせることになりました。振り返ってみると、何の計画もなしに「やるしかない!」という想いだけで始めていましたし、2人がいてくれたからこそここまでこれたと思っています。

塩尻で二拠点生活を始めたのは、「好きな人」がいたから

――LTを始めたころは、会社で働いていたおられたと思うのですが、フリーランスになり二拠点生活を始めることになったきっかけを教えてください。

湯浅さん:LTが盛り上がっていったことで「もっと地域にアクションを起していきたい」と僕自身が思うようになったんです。でも、会社で働きながら地域に関わるのは、どうしてもリソースや体力的に限界があって。なので、「これ以上地域に関わりを増やすのであれば、仕事化するしかないな」と思っていました。正直、地域に対するアクションが増えるのであれば、前職を時短勤務やWワークにするのでも良かったんです。でも、フリーランスになった方が動きやすいということで2019年4月にフリーランスになりました。

二拠点生活をしたいなと思うようになったのは、地域のことを語れないままではダメだと思ったからなんです。僕は、両親が転勤族だったことから都市部にしか住んだことがなかったんですね。だから、地域について多くのことを語れなかった。でも、こういった仕事をするうえで地域のことを知っているのは大切なので、どこかの地域に住む経験をしたいなと思っていました。

――たしかに、地域という場所に身を置いてみることで見えてくるものもあるかもしれません。現在は、塩尻と東京の二拠点生活をされていますが、塩尻だったのには何か理由があったのでしょうか。

湯浅さん:僕の知り合いに「たつみ かずきさん」という長野県でゲストハウスやシェアハウスを10年間で8施設立ち上げた人がいるのですが、彼が塩尻で新しいシェアハウスを始めることになったんです。それで、まだ家の中を片付けたり、改装したりしなきゃいけない状態の時に数人のメンバーと見学に行き、夜は皆で宴会をやったんですよ。お酒も入っているしそのまま泊めてもらおうと思っていたら、「ここに住まいと今日泊めないよ」とたつみ かずきさんに言われてしまったんです。「マジか!」となったのですが、その場の流れで「じゃぁ、住む!」と言ってしまい、たつみ かずきさんのシェアハウス(信州塩尻中山道贄川 宿場noie坂勘)に住むことになりました。
その場の流れもあったのですが、他に良いなと思う地域がなかった訳ではありません。それでも塩尻に決めたのは、「好きな人」がたくさんいたからなんです。僕にとっての好きな人とは、一緒に仕事をしたいなと思える人や、面白いことができるんじゃないかと思える人のこと。たつみ かずきさんもそうですし、たつみ かずきさんの周りには面白い人が大勢いた。その人たちと関わりながら地域で暮らすことや働くことを考えたとき、「一緒に何かしたい」と思ったんです。なので、2019年4月頃から少しずつ東京と塩尻の二拠点生活をスタートさせました。

――「住まないと泊めない」とは、驚きの展開ですね。なぜ移住ではなく、二拠点生活だったのでしょうか。

湯浅さん:もともと、自分が好きだと思える人と好きなことをして生きていきたいと考えていたんです。そして僕には、東京にも好きだと思える人がたくさんいる。その人たちとも一緒に何かしていきたいと考えたとき、東京との二拠点生活が一番良いのではないかとなったんです。

――生きたいように生きていく、ということにおいて二拠点生活という手段はあっているのかもしれませんね。実際に塩尻と東京の二拠点生活をしてみて感じていることなどはありますか。

湯浅さん:僕の場合、フリーランスになること二拠点生活を始めることをほぼ同時にしているんですね。なのでまずは、自分が生活していくための仕事をつくらないといけない状態でした。仕事をつくることを考えると、基盤がない塩尻よりも東京の方が仕事をつくりやすかった。なので、フリーランスになってからの半年間は、東京で仕事をつくるということをしていました。その結果、塩尻にいられるのは月に1週間くらいだったので、塩尻の人たちとの交流があまりできていないというのが現状です。少しずつ交流を増やしていき、今後は塩尻でも仕事をしていきたいなと考えています。

地域と東京、それぞれを結ぶ橋渡しとして

――地域に関わるきっかけやLTの立ち上げ、二拠点生活についてお聞きしてきました。塩尻と東京の二拠点生活をふまえ、今後やっていきたいことなどを聞かせてください。

湯浅さん:「地域の魅力を伝えるイベントを東京で開催しよう」となったとき、地域の目線や言葉のまま「ここが魅力なんです」と伝えても、東京の人たちに刺さるとは限らないんです。東京の人たちが何を求めているのか把握したうえで伝え方を工夫し、イベントを開催した方が価値のあるものになる。でも、地域の人は東京のことがわからなくて当然だから地域の人にそれをしてもらうのは、難しいですよね。両者がちょうどよい関係性で理解し合い、どちらかの負担になるのではなく歩みよれるポイントを探る必要がある。だからこそ、僕は二拠点生活をしながら地域のことを理解しつつ、東京の人間として地域をつないでいきたい。地域側と東京側で互いに対話をしなければいけないからこそ、少し東京によりつつも両者をつなぐ橋渡し的存在になれたらいいなと思っています。

取材を終えて

これまで経験してきたことを丁寧に話してくださった湯浅さん。過去のお話を聞いたことは何度かあったのですが、今回初めて聞くお話も多く新鮮な取材になりました。また、取材の中で「二拠点生活というのは手段」と言っておられたのが印象的でした。生きたいように生きたい、複数の地域に関わりたい、そんな想いを形にできるのがが「二拠点生活」なのかもしれません。

西野 愛菜

西野 愛菜 (編集者/ライター)

京都生まれ京都育ち。幼少期の頃から手仕事が身近な存在だった。学生時代には、伝統工芸に携わる職人さんに取材をし、発信する活動をおこなっていた(職人さんの想いを届ける「想いのしおり」)。手仕事の現場をもとめ、京都から奄美大島まで職人さん取材にいくほど。現在は、東京の編集系ベンチャー企業で編集者として日々奮闘中。主には、企業で働く人のストーリーを編集している。人のストーリーや想いが伝わるやわらかな文章を書いていたい。

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