人生の舵取りは自分自身がコントロールする【熱狂するセカンドペンギン】

トレジャーフットメンバーの原体験を探索するコラム「Treasurefoot = ⚪︎⚪︎」斉藤晃久編

■斉藤晃久
1990年生まれ、宮崎県出身。海外留学を経て大学卒業後アメリカ単独横断に挑戦。帰国後は東京で民泊を開業し100組以上のゲストを迎え入れる。前職の飲食系ベンチャー企業では生産工場の運営や業務改善に従事。また同社でのEC事業の立ち上げや外注業務の内製化など様々な新規事業の責任者を経て、新たにトレジャーフットに参画。

チャンスの裏側、知らぬ間に高くなっていた異業種転職への心的ハードル

20代は業種関係なく興味がある分野に飛び込んでいろんな経験をしてきた私は、30歳を迎え、今後の人生を考えるために有給を取って相模湖の奥地のゲストハウスを借り、2泊3日山籠りをしてひとり内省していました。

ー「どこで」「誰と」「何に貢献」する人生が自分にとって幸せなのか

勿論、これは人生のタイミングで変化するものですが、これが決まっている人は言動と行動が一致していて、見ていて格好いいし、何よりとても幸せなことだと思います。そして当時僕が出した結論は、「いろんな場所」で「自分が好き(尊敬できる)な人」と「地元に貢献したい」というものでした。

それからしばらく経って転職活動を始めることになるのですが、元々民泊をしていたことと、飲食の経験から、グランピングを運営する会社の選考を進めていました。最終選考に差し掛かるころ、ご縁がありトレジャーフットとお話させていただく機会があったのですが、仕事内容は地場産業とプロ人材のマッチングサービスのコンサル営業。自分にとっても初めての業態でしたが実際に話を聞いてみると、非常に興味を引く内容でした。

ただ心配事がひとつ。コンサルは全くの未経験。
20代だったらすぐに飛び込んでいましたが、歳を重ねる毎に異業種転職への心的ハードルは知らない間に高くなっていました。

代表の田中さんをはじめトレジャーフットのメンバーは皆優秀で、自分とは全く異なったキャリアを築いていたので、内心ついていけるだろうかと不安にもなりましたが、同時に確実に成長できるチャンスでもあります。また何より、場所に囚われずに働き、尊敬できるメンバーと地方の発展に貢献できる、こんなチャンスはもう来ないと思い、リアルで面談をさせていただいたその日に入社を決断し、今に至ります。

入社後、私はトレジャーフット初のビジョンマッチ採用と聞いた時の納得感はいい思い出です。

B面の名曲

僕にとってトレジャーフットで働くことの面白味には、レコードで言うところのA面とB面があります。

A面は先に書いた、「場所に囚われずに働き、尊敬できるメンバーと地方の発展に貢献できる。」ということ。
特に場所に囚われずという文脈においては僕の日常の暮らしも大きく変化し、今年からは地元宮崎との2拠点生活にチャレンジしています。朝は海までランニングすることもあれば、田んぼ道を散歩することも。東京では出会えなかった、地元で頑張っている素晴らしい方々にもたくさん出会えることができています。

そして、B面は「第一線で活躍するプロと一緒にプロジェクトを進行することができる。」という点です。
数ある名曲の中にもB面から産まれたものがあるように、僕にとってはこのB面も魅力のひとつです。トレジャーフットで関わるプロ人材の方々は、今までの人生では絶対に出会うことがなかったであろうレベルの方とプロジェクトを共にするので、脳がパンクするほど学んでいるところです。

なんでもいいから“こだわれ”

僕は昔から大事にしている価値観があります。それは、自分が好きなものを自分がちゃんと知っていることです。なので昔から音楽はこれが好き、お酒の割り方はこれ、煙草はこれ、行きつけの居酒屋に行ったら注文するものは大体決まってます。平たくいうと“こだわり”です。

もう一つ昔から考えていることに
・20代は興味があれば何でもやる(地図を広げる)
・30代はやることにこだわる(方位を描いて舵を切る)
があります。40代からはどう楽しむかしか考えてないです。

自分の人生にこだわるからこそ、山に籠って悩み老けるし、面白いと思ったら飛び込みます。

故郷について何も知らないことを知る

そもそも、そんなことを考えるようになったのは、僕が高校生の頃です。

当時の斉藤少年は宮崎の片田舎で暮らす一人っ子だったので、周りの世界はテレビで見るものだけでした。そんな中、たまたま教育実習生として研修に来た先生が世界を旅する大学生で、放課後に毎日旅の話を聞いていました。当時、宮崎をでることなど考えもしていなかったのですが、それをきっかけに一切止まることなく大学進学で上京→卒業後のアメリカへの旅が続いています。その頃は宮崎から早く出ていきたい一心で、地元になんの愛着もありませんでした。

アメリカから戻った私は東京の下町で民泊をはじめることになるのですが、そこでは本当にたくさんの素敵な旅人と出会い、一緒に食事をしたり、お酒を酌み交わしながら夜中まで会話をして楽しんでいました。そんな中で一番に感じたことが、それぞれ自分の産まれた故郷に誇りを持っていることです。僕はハッとして、自分の故郷の宮崎についてなんにも知らないことに気が付かされました。

これが好き、こうしたいということに真っ直ぐに向き合った20代を経て、後に考えつく転職のこだわり、「いろんな場所」で「自分が好き(尊敬できる)な人」と「地元に貢献したい」という想いに繋がったと同時に、今では地元に熱い想いがあるのだと思います。

ド直球真ん中ストレート

そんなかたちでトレジャーフットに入社してあっという間に1年以上経過しました。勿論最初はとても苦しい時期もありましたが、今では老舗旅館のブランディングや新規事業の立上げ、EC支援やSNS支援など様々なプロジェクトに関わらせていただいています。

が、正直コンサルティングというのはなんて器用な仕事なのか。つくづく感じます。なので僕のスタイルは「ド直球真ん中ストレート」。真っ直ぐに誠実に課題と向き合うことが一番のコンサルティングと考え、悩みながらも楽しく働いています。

熱狂するセカンドペンギンたれ

 

TEDの講演で好きな回に「ムーブメントの起こし方」があります。所謂ファーストペンギン、セカンドペンギンの話なのですが、会社に置き換えると代表がファーストペンギン、社員はセカンドペンギンだと考えています。

その仕事に熱狂できるか、どう楽しむかは全て自分次第、ようは楽しんだもの勝ちです。そしていつか、僕が地元宮崎でファーストペンギンになれるようこれからも勉強は続きます。

自分の船の舵取りは己で決める!

この記事を読んでいただいた方にいつかお会い出来たら、お互いのこだわりを語らいながら一杯やりましょう!


おわりにかえて

ーー「なんでもいいから“こだわれ” 」

この言葉は、確かに晃久くんを象徴するものです。自分でタバコを巻いて吸う彼の後ろ姿には、周りを惹きつける人としての魅力があります。

熱狂するセカンドペンギンとして、社内でも頼りになる存在。自分の人生の船と、トレジャーフットという船がイコールで結ばれる、一緒に好きなことを好きなだけして、好きな仲間と酒を酌み交わして歳をとっていきたい。みんなにとっても晃久くんはそういう存在です。

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