トレジャーフットメンバーの原体験を探索するコラム「Treasurefoot = ⚪︎⚪︎」辻 麻梨菜編
山梨県北杜市出身。明治大学卒業後、株式会社ベネフィット・ワン入社。営業・Webディレクターを経て、社内ビジネスコンテストに入賞し、スキルシェアアプリを開発。2019年4月より地元貢献・地域課題解決を目指し東京と山梨の里帰り二拠点生活を開始。新しい働き方・暮らし方を自ら実践しながら、トレジャーフットで地場産業や自治体と複業人材のマッチングに従事。
憧れの”キラキラOL生活”とはほど遠い”すり減る生活”
山梨で生まれ育った私は幼少期から『東京』に対する憧れを抱いていました。遊びに行くなら「東京」、大学へ行くなら「東京」、働くなら「東京」。2013年4月、夢が叶って東京の会社へ就職。ありがたいことに、新卒で入社した会社では在籍期間6年で、新規営業・企画営業、Webディレクター、新規事業開発など幅広い業務を経験することができ、今の私の土台を作ることができました。
豊富な経験ができたことと引き換えに、私が思い描いていた”キラキラしたOL生活”とはほど遠い”すり減る生活”を送る日々。通勤ラッシュで揉みくちゃにされ、深夜まで働き、家に帰って寝る。朝から晩まで働いても、生きているだけでお金が消えていく。「なんのために働いているんだろう」と疑問に思うことが何度もありました。
残業時間NO.1という自慢できない称号
社会人3年目の夏。「残業時間、全社員NO.1」という全く嬉しくない称号を手に入れました。
当時、Webディレクター・プロモーション担当として大手通信会社の案件に携わっていましたが、そこで感じたのは圧倒的なレベルの差。日本を牽引する大手企業が求めるサービスのクオリティに対して、全く歯が立たない、どんなに働いても期待値を超えることができない、自分の現在地を痛感しました。
「すり減る生活をしながら残業NO.1になるほど頑張っても、今の環境ではこれ以上の自己成長には繋がらないのでは?何か変えなければ。」と心のモヤモヤは大きくなっていきました。
地元の衰退と地元の豊かさ
社会人3年目の冬。母から「中学校、なくなっちゃうかも」という衝撃的な連絡が入りました。いつか母校がなくなる日は来るだろうと思っていましたが、まさかこんなに早く統廃合の話が出るとは、驚きと悲しさと、いろんな感情が一気に込み上げてきました。
今の私を知っている方は驚くと思いますが、当時の私は実家に1年に1度帰る程度。地元に全く関心がなかったのですが、「母校の統廃合」というキーワードは、私の胸に強く突き刺さりました。
妙に地元が気になる。
そこで、久しぶりにゆっくり帰省し地域行事に参加してみたところ、昔は30代・40代・ 50代・60代と世代ごとにブースを出店していたのに今は全て50代・60代、子どもの御神輿は担ぐ人数が足りず台車で引っ張るなど...人口減少による伝統の衰退を目の当たりにしました。
この時初めて「地元のために、私にできることはないか」という地元愛のような想いが芽生えました。もう1つ、実家に帰省して感じたことがあります。それは「地元の暮らしは、実は豊かなのではないか」ということです。東京での私の暮らしは、朝から晩まで働きご飯はコンビニで済ませる、利便性は良いが隣近所誰が住んでるか全くわからない無機質な生活。
実家の暮らしは、畑で育てた野菜を収穫してその日の食卓に並べ、19時には家族揃ってご飯を食べる。ご近所からお裾分けが届いたり、道端で出会う人が挨拶をしてくれる生活。何もないと思い込んでいた地元には、人と人の繋がり、地域へ拡張する暮らしがあり、すり減る暮らしをしていた私が「豊かさ」に気づいた瞬間でした。
自分らしさの模索。4年かけてたどり着いた”里帰り二拠点生活”
東京での働き方・暮らし方に対する違和感、地元への興味関心、暮らしの豊かさの定義など、自分の中でモヤモヤしていたことが明確になったものの、次にぶつかった壁は「結局、自分は何がしたいのか」という問いでした。
当時、まだ「二拠点生活」という言葉が今ほど一般的ではなく、地元に関わりたいのであれば「移住 / Uターン」するという選択肢しかありませんでした。でも、私はそこにさえ違和感を抱き、もっと自分らしい働き方・暮らし方があるのではと再び悩み始めます。
当時の私は、このような考え方をしていました。
・すり減る生活は嫌、自然に囲まれ地域と繋がる豊かな暮らしが理想
・地元に貢献したいけど今の自分1人では何もできない
・今、Uターンしても人口が1人増えるだけ、それ以上のインパクトを起こせない
・もっとスキルアップする必要がある(=東京にいた方が良い?)
「移住」「地域」といったキーワードがつくイベントへ参加し実践者の話を聞き、転職サイトで地域活性に関する事業を見つけては話を聞き、ヒントを見つけたいとがむしゃらに人に会いにいきました。
都会と田舎の良いとこどり”二拠点生活”との出会い
「地域仕掛け人市」という日本全国の各地域で活動する団体が一同に集まる大型イベントで、ふと目に止まったトークセッションがありました。「2つの地域で暮らす、働く」このキーワードを見つけた時の胸の高鳴りは今でも忘れられません。
このトークセッションで、地元・秋田のお米のプロデュースや古民家を活用したサービスを立ち上げながら、東京でお米や古民家のファンを増やすためのイベントを実施し、東京と秋田を行き来する働き方・暮らし方を実践している方と出会いました。
東京か山梨、どちらかを選ぶのではなく、どちらも選ぶ。
私が求めていた自分らしさの実現には、二拠点とも必要なんだ。
このイベントでの出会いと気づきは、私の気持ちを大きく後押ししてくれました。
会社にいながら自分らしく働く
2016年、シェアリングエコノミー元年。世界ではUberやAirbnbなど、個人が所有する遊休資産をプラットフォームを使ってマッチングする新しいサービスが続々とリリースされ注目を集めていました。日本でも一般社団法人シェアリングエコノミー教会が発足され、これからC to Cの時代が到来する、新しいビジネスの動きを感じました。
その中で、特に興味があったのが「スキルシェア」
『シビックエコノミー』という書籍の中で取り上げられていた海外の事例で、自分の得意なこと・できることを提供し、対価としてオリジナル通貨を得る、自分が困った時にその通貨を使って地域の人へ依頼ができるという仕組みを運営している地域がありました。
スキルシェアと地域通貨、この仕組みを地元で展開したいと思った私は、1人でやる勇気もお金もなく、当時在籍していた会社で1年に1度開催されるビジネスコンテストにダメもとでエントリーしたところ、なんと入賞。社長から私含め3名の若手社員へ「シェアリングエコノミーで何か事業を立ち上げろ」というお題が渡され、数ヶ月後には部署移動し「シェアリングエコノミー準備室」が立ち上がりました。
新規事業の立ち上げはもちろん初めてで、右も左もわからない若手社員を導いてくれたのが、シェアリングエコノミー事業責任者、後の株式会社トレジャーフット 代表取締役の田中さんです。
その後、紆余曲折あってシェアリングエコノミーのアプリをリリースするものの、当初思い描いていた事業展開ができず、田中さんが独立し、株式会社トレジャーフットを創業。
私が地元に興味を持ったから、二拠点生活という言葉に出会ったから、ビジネスコンテストに参加したから、いろんな偶然が連鎖した結果、田中さんと出会うことができ、「新しい働き方を創造し、地場産業の発展に貢献する」というミッションを掲げる株式会社トレジャーフットの社員一号として入社することができました。
職業「辻 麻梨菜」という働き方
創業1年目のトレジャーフットへ転職した理由は単純明確で、「田中さんのもとで再びスキルシェア事業を立ち上げたい」という想いからでした。
2019年3月で新卒から6年勤めた会社を退職し、4月から東京と山梨の二拠点生活を開始。7月にはトレジャーフット社員一号として入社しました。
フリーランスと会社員の良いとこどり
トレジャーフットは、フリーランスと会社員の良いとこどりができる会社です。その理由は”日本で一番自由な就業規則”にあります。コアタイムのないフレックス制、週40時間働けばOK。
なかなかここまで自由な会社はないと思います。私はこの就業規則のおかげで、二拠点生活にかかる移動時間や、山梨での活動時間を確保することができ、まるでフリーランスのような働き方・暮らし方が実現できています。
もちろん、会社員なので、本業最優先。自由に責任は伴うので、本業で成果が出ている前提で、柔軟な働き方ができる会社です。
ロマンとソロバンの苦悩
地場産業とプロフェッショナル人材のマッチング事業をスタートし、張り切って山梨へ営業にいくものの、なかなか受注できない日々。
私は「目の前の困っている人」に手を差し伸べたいという想いが強く、とにかくロマンを追ってしまう性格です。ロマンを追うことは悪いことではなく、むしろ大事なことですが、事業を継続するためにはお金が必要で、ロマンとソロバンのバランスが取れず非常に苦しみました。
そんな中、お世話になっている山梨県庁の職員さんからの紹介で、山梨の伝統産業である和紙を作る老舗メーカーさんの案件を初めて受注した時は、1人ローカル線のホームで電車を待ちながら涙しました。
新しい技術で生産した和紙を全国へ広げるための広報・PR、海外へ展開するためのHP・パンフレットの英訳、2つの取り組みを任せていただき、複業人材の方と一緒に本社工場や展示会に何度も足を運び、やっと地場産業の力に慣れているんだと実感しました。
また実家から徒歩5分、父の学生時代の後輩の方が経営するワイナリーのHP制作に携わることも。幼少期から馴染みのあるワイナリーへ仕事として訪問するときは、嬉しさに加えてちょっとした恥ずかしさもありました。
人と多面的に出会う。本業と副業の相乗効果。
トレジャーフットに入社した頃から、複業 / 個人活動の一環で様々なイベントの企画・運営をすることが増えてきました。
地域の方と一緒にお寺の2050年 / 町の2050年を考えるワークショップ、山梨の面白い人・場所を紹介するトークイベントなど、企画から当日のファシリテーションまで携わることもあれば、私がゲストとして自分の活動を話すことも。
イベントをたくさんやっているうちに、山梨県内での繋がりが急激に増え、ありがたいことに、山梨県が主催するイベントやラジオへの登壇、山梨日日新聞への掲載など、私の活動を広く知っていただける場面も増えていきました。
人との繋がりが増えてくると、複業 / 個人活動で出会った方が、実は某有名なお菓子メーカーの部長だったり、化粧品メーカーが運営する施設の責任者だったり、トレジャーフットが正面から営業をかけてもなかなか出会えない方と、実はすでに繋がっていたということも。ありがたいことにトレジャーフットとしてお仕事をいただき、SNS運用やCRM戦略、ECサイトの改善といった案件を支援することができました。
また前職の後輩が個人活動で関わる静岡県伊豆の国市のまちづくりや、地元の同級生が移住した石川県小松市のものづくり支援など、山梨以外でも、元々あった繋がりからお仕事が生まれることがよくあります。
その逆も然りで、トレジャーフットとして支援した会社の担当者さんが趣味で狩猟をしており、お互いの個人活動の一環でジビエイベントを企画したこともあり、本業と複業の相乗効果を日々感じています。
私がたどり着いた”自分らしさ”とは、人と多面的に出会うことで生まれる本業と複業の相乗効果、職業「辻 麻梨菜」という働き方でした。
人生3回目の新規事業。自分の弱さと強さを知る。
2022年4月、取締役 兼 はたふり事業執行役員として、新たなステージに立ちました。
人には2種類のタイプがあります。
夢を描き夢を追い求めることができる「夢組」
誰かの夢を叶えるために頑張れる「叶え組」
これまでの私は、どちらかというと「叶え組」として仕事に取り組んできましたが、複業スクール「はたふり」という複業人材育成スクールを事業責任者として立ち上げることになりました。
私のようにジェネラリストとしてキャリアを積んできた人の多くは、「自分には特別なスキルがないから、複業ができないんです」と悩んでいます。
でも、本当は誰でもスキルは必ず持っていて、商品として設計し届ける先を見極めれば、複業はできる。ジェネラリストだって、複業で輝ける。そんな世界を目指し、私は「夢組」と「叶え組」のハイブリッドな視点で2022年4月にプロトタイプ版をリリースしました。
プロトタイプ版は、私が掲げるビジョンに共感する12名が集まり、「受講生」として講座を受講しながら「立ち上げメンバー」として実体験をベースに事業をブラッシュアップしていく、事業の立ち上げ方に挑戦。共感が熱量を生み、熱量が電波し、また共感が生まれる、そんな好循環が巻き起こる3ヶ月でした。
2022年8月、はたふり正式リリース。
講座作成、マッチング会の企画・運営、複業案件の仕入れ、コミュニティ運営をしながら、次の受講生を集めるためのマーケティング施策の検討、そして実行。
私は昔から目の前で起きていること / 届いてくる声に意識を引っ張られやすい性格で、それが故に課題の優先順位を見誤ったり、考えすぎて行動が遅れたり、また数字への意識が低かったりと、自分の「弱み」を痛感。
その反面、共感を生む力、巻き込む力、伝える力が高いようで、「応援したい!一緒に良いサービスを作りたい!」というムーブメントが生まれ、後に「辻エコノミー」という言葉が誕生。自分の「強み」が明確になりました。
はたふり事業執行役員という重圧に潰れそうな時もありましたが、この1年で約50名が受講。初めての複業案件獲得、会社員からフリーランスへ転身など、受講生それぞれが新たなステップを踏み出す1年になりました。
苦手なことを受け入れてプラスに変える
『ロマンとソロバン』
明治時代の実業家・渋沢栄一が残した「論語とそろばん」から生まれた言葉で、トレジャーフットの「VALUE」にも、この言葉が刻まれています。「ロマン=想い」と「ソロバン=売上」のどちらか一方が欠けてしまうと、それは良い事業 / 良い組織ではありません。
私は「ソロバン」が苦手です。気づいたら「ロマン」を追いかけてしまっています。
役員としてあるまじき状態だ...と悩んだ時期もありましたが、私は「苦手を克服すること」よりも「得意を活かすこと」に自分らしさを感じています。
熱烈にロマンを追うことで共感を生み、ムーブメントを作り、それが、結果的にソロバンに繋がる。一般的な役員のあるべき姿と逸脱しますが、私らしい売上の作り方や組織の引っ張り方、そして新しい役員のあり方を確立したい。
職業「辻 麻梨菜」という働き方を、これからも体現していきます。
おわりにかえて
熱烈にロマンを追うことで共感を生み、ムーブメントを作り、結果的にソロバンに繋がる。
これが辻さんを表現する言葉だと私は考えます。大きな成功を収めるビジネスは、全て一人のロマンから始まる。
近くにいる皆を巻き込み、楽しい気持ちを醸成させ、一人では見えなかった世界を見せる。その人の本来あるべき姿を創り出す。そんな辻さんの力にはいつも圧倒されています。働くことを自己表現として生きる、辻さんのこれからはより豊かになっていくと信じています。
代表取締役 田中 祐樹