今回のキャストインタビューは、本業でプロデューサーを努めながら、複業でも様々な地域プロジェクトを進めている柳川雄飛さん。
Going・Going・Localでは、沖縄県に本社をもつ会社にてプロジェクトマネジメントの研修を手がけていただきました。
今回は、柳川さんが地域とかかわるきっかけになった女川町でのプロジェクトや、そこから繋がった地域でのお仕事、複業で感じた会社の仕事との違いやゴゴロで働いてみた感想などを伺いました。
柳川雄飛さん
大学卒業後、株式会社セプテーニ・クロスゲートにて6年間にわたり広告の営業・メディア開拓・新規事業立ち上げまで様々な事業に従事。その後、2014年に株式会社ロフトワークに入社。
企業や教育機関、官公庁および地方自治体に至るまで様々なフィールドで新サービスや新規事業立案など、課題発見から価値創造をクリエイティブとデザインの力で実現するプロジェクトを多数プロデュース。「創造的な人と活動をつくる」をミッションに活動している。東京渋谷を拠点にはたらく人とつながる「渋谷区100人カイギ」(https://100ninkaigi.com/area/shibuya)の発起人、ディレクター。
宮城県女川町の地域活性のプロジェクトをきっかけに都市やまちづくり、地域プロモーションのプロジェクトなどにも関わる。
■今回携わっていただいたお仕事
・沖縄県で旅行予約サイトを運営している会社でのプロジェクトマネジメント研修講師
ーーはじめに、今やっていること(仕事、ライフワーク含め)を教えてください。
柳川さん:大手企業向けに新規事業の立ち上げ、サービス開発、ブランディング支援のプロジェクト支援をしています。ほかには組織支援の一環で、組織内の認識相違をフラットに解消するワークショップのファシリテーターをしたりしています。
2014年から地域と関わるようになり、今は別府や寄居町など、ローカルに向けたプロジェクトにも関わっています。
ーー地域と関わるようになったきっかけはなんだったのですか?
柳川さん:宮城県女川町のプロジェクトメンバーになったことがきっかけでした。
2014年に転職後は、自分の得意分野や軸が見出せず毎日の仕事に追われる日々の中、モヤモヤとしていた時期でした。
そんな中、TOKYO WORK DESIGN WEEKというイベントで「イノベーション東北」というサービスに出会いました。これは、Googleが提供するサービスで、都市圏にいて地域に関心のある人たちとと、東日本大震災で被害に遭った事業者をマッチングするプラットフォームです。
何か自分の殻を破るキッカケを探していたので出会った瞬間にプロジェクトに応募をしました。僕は大震災の時は大阪で仕事をしていて震災を自分事として体験しておらず、何かモヤモヤした思いが胸の中にずっとありました。そんなタイミングだったこともあり、ピンときたんだと思います。
ーー女川町でのプロジェクトは、どのようなものだったのですか?
柳川さん:町の内と外の人たちを繋ぐ場をプランニングするプロジェクトでした。当時は震災後4年ほど経った頃で、まだ町はまっさらな状態。そこから町を再建するにあたり、町外のひとたちが中長期的に女川町と繋がってくれるようなプロジェクトを立案しました。
立案した「女川とびらプロジェクト」のロードマップ
プロジェクトメンバーの4人はみな女川に関しては素人だったので、弾丸訪問で町を案内してもらって現状を見て、町のキーマンに話を聞いて、女川町のことを知っていきました。すると、知っていくうちに少しずつ光景が目に浮かんでくるようになりました。「なにができるんだろう」という想いが湧くと同時に、「何かができるなんておこがましいんじゃないか」という想いも浮かびました。
でも、「外の人の目線で関わってくれることがいいことだから」と町の人に言っていただいて、それが励みになりました。
東京では、仕事終わりに週3,4回メンバーで集まってミーティングをして、夜11時とかまで夜な夜な議論していました。何かに駆り立てられるようでしたね。企画書も、100ページくらい徹夜して作りました。
あのプロジェクトはこれまで仕事で感じたものとはまた違う、使命感のようなものをすごく感じて、突き動かされるような感覚でした。プロジェクトが初めて「自分事化」された経験だったと思います。
メンバーもすごく良くて、ジャンルバラバラの4人が各々の力を発揮して互いを補いあって活動していく中で「仕事って誰とやるかが一番大事だな」と感じました。僕は自分で自分を追い込む癖があったのですが、このメンバーには頼っていいんだなと思えました。
僕の原体験とも言って良いプロジェクトになっています。
プロジェクトメンバーとの女川町視察風景
プロジェクト後はメンバーみんな燃え尽きて、女川ロス状態になってしまいましたね。
でもその甲斐あって地域の方にも喜んでいただけて、「もっと一緒にやっていきたい」と言っていただけました。嬉しかったです。3ヶ月の短いプロジェクトの予定だったんですが、結局は1年くらい行うことになりました。
ーーご自身の原体験だったんですね。その後、埼玉の寄居町や大分の別府など地域プロジェクトに関わるようになっていったんですね。
柳川さん:はい。女川町でのプロボノ活動を社内でも共有すると、社内でも自分のところに地域の仕事がだんだんと集まってくるようになって、ローカルの色のあるプロデューサーのようになっていったんです。その後、別府のプロジェクトに関わることになりました。
寄居町のほうは、寄居町出身の知人から相談を受け、個人として関わっています。今は町の事業者と町外の人たちがつながる最初のきっかけの場として「LAYERS HOOP YORII」というプログラムを作り進めています。
ーー地域のプロジェクトを通して、ご自身の中で気づきや感じたことはありますか?
柳川さん:地域のプロジェクトを一緒にやる人って仲間とも友達とも違って、同志というか…同じ船に乗っている人だと感じています。一つの目的に向かう乗組員のような感じ。だから馴れ合いではなく「やるときはやろう」というような緊張感があるんです。その関係が気持ちいい。
地域の仕事って、会って最初に「その地域とどう関わりたいか」とか、そういう目的や価値観の対話をすることが多いんですね。そういうものでつながっているからこその関係なんだと思います。これは複業ならではの体験じゃないでしょうか。
ーー確かに、複業ならではですね。ゴゴロでも複業をしていただきましたが、実際にゴゴロで仕事をしてみて感じたことはありましたか。
柳川さん:ゴゴロでは、沖縄のとある会社にて、プロジェクトマネジメントを体系化したものを社員の人たちに体験してもらう研修を行いました。研修ではプロジェクトマネジメントのフレームワークを自分たちの仕事に置き換えて考えてもらい、自分事化する体験をしてもらいました。
ゴゴロでの仕事は、とてもやりやすかったです。僕とその会社の間に田中さんが入って調整してくれたんですが、田中さんが向こうの担当の方と仲がいいのが伝わるので僕もオープンになれました。田中さんは僕のことをわかってくれているという安心感もありました。「間に入っている人の信頼感って大事だな」と実感しましたね。
ーー今後、ゴゴロに期待することなどはありますか?
柳川さん:複業というもの自体がハードルの低いものになってほしいと思います。
志が同じ人同士でおもしろい活動が生まれていくような、そういうフィールドを広げていってほしいです。
そして、地域にはなかなか東京の情報がいきわたっていない現状がありますが、ゴゴロは情報や人を届けるハブになれるし、なってほしいと思います。
ーーありがとうございます。最後に、柳川さんが今後より力を入れていきたいことなど、展望を聞かせてください。
柳川さん:今後の展望としては、地域の人たちを触発するための仕組を作りたいと思っています。具体的には、なにかをしたい人たちの実践の学びが得られる場や、プログラムを作っていきたいです。
もともと芸術家が創造的な活動を行う仕事場を「studio(スタジオ)」と呼んでいたそうです。今は、組織に縛られずに「個」のやりたいことを実現するために、発信したり、仲間と一緒に形にしていきやすい時代になりました。一人ひとりにとっての創造的な活動が生まれる「studio」とう場の考え方を、小さくても良いので世界中さまざまなところに広げていきたい。そうすると、もっと働くことを楽しむ人が世の中に増えていくのではないかと考えています。
一人一人の中にあるクリエイティビティがその人の中でキラッと光る瞬間や、その光を見つけられる場を作っていきたいですね。
インタビューを終えて
「人とつながり、おもしろいことを創造していく」ということを軸とされている柳川さんの「スタジオ」構想をお聞きして、よりたくさんの繋がりからクリエイティブな活動が生まれるビジョンにとてもわくわくしました。柳川さん、貴重なお話をありがとうございました。