はじめに
2025年9月6日、「ここから、しまね 〜クラフトビールと益田の自然の恵みに乾杯〜」が、CAFE & HALL Ours(東京・品川区)で開催されました。
島根県益田市の自然や暮らしをテーマにしたこのイベントは、クラフトビールをきっかけに都市と地方をつなげる交流会です。
主催は公益財団法人ふるさと島根定住財団と、しまね移住支援サテライト東京。
ゲストには、益田市でクラフトビールづくりを行う「高津川リバービア」代表の上床絵理(うわとこ えり)さんを迎えました。
会場には20代から50代まで幅広い世代、約25名が集まり、満席の熱気に包まれました。島根への移住に関心を持つ人、クラフトビールを楽しみに来た人、地域との新しい関わりを探す人など、参加の理由はさまざま。乾杯の合図とともに、にぎやかで温かな時間が始まりました。
10種類のクラフトビールがお出迎え
受付を終えると、参加者を待っていたのは島根の素材を使った10種類のクラフトビール。
マスカットやくろもじ(和製ハーブ)、柚子、いちご、わこう茶など、個性豊かなラインナップに会場は早くもざわめきました。
「どれにしようかな?」
「こんな味は初めて!」
瓶を手にした人の表情は期待にあふれています。乾杯の合図とともにグラスが重なり合い、自然と笑顔と会話が広がっていきました。「すっきりして飲みやすい」「くろもじの香りが爽やか」など、感想が次々に飛び交い、初対面同士の距離も一気に縮まります。その和やかな雰囲気の中、主催者のふるさと島根定住財団から挨拶がありました。
「島根を知り、楽しみ、そして関わる。その最初の一歩として、今日はクラフトビールを通じて島根を感じてほしい。こうした交流から、実際に移住や地域との関わりを考える方が一人でも増えることを期待しています」
この言葉を受けて、会場はさらに耳を傾ける雰囲気に包まれました。
そしていよいよゲストトークが始まります。
ゲストトーク:高津川リバービア株式会社 代表・上床絵理さん
公務員からビール職人へ
登壇した上床絵理さんは、東京で15年以上にわたり公務員として働いてきました。
「安定した仕事でしたが、心のどこかで“もっと違う生き方があるのでは”と感じていました」
役所での業務は忙しく、毎日が慌ただしく過ぎていきました。やりがいはあるものの、「このまま定年まで同じ環境だろうか」と悩むこともあったといいます。転機は2018年、偶然訪れた島根県益田市でした。深い緑の山々と透明な高津川、夕暮れに光る川面の美しさに胸を打たれたそうです。
「空気を吸った瞬間に都会とはまったく違う安らぎを感じました。地域の方々も“よく来てくれたね”と温かく迎えてくださり、心がすっと軽くなったんです。その時、“ここで暮らしてみたい”と強く思いました」
この体験をきっかけに2020年「高津川リバービア」を設立しました。
上床さんの挑戦 ― 移住、複業、そしてビールづくり
とはいえ、移住生活は順風満帆ではありませんでした。
「ビールづくり一本で生活を成り立たせるのは現実的ではありませんでした。だからこそ、ITの仕事を並行して続け、収入の安定を図りました」
複業という形を取り入れることで挑戦と安心を両立させた上床さんは、「都会のように職種が豊富にあるわけではない地方だからこそ、自分で仕事をつくる発想が大切」と強調します。
同時に、ビール開発は失敗の連続でした。初めて仕込んだビールは発酵が進まず、すべて廃棄。タンクから泡があふれ出し、「本当に途方に暮れた」と振り返ります。その経験から衛生管理や温度管理の重要性を学びました。
くろもじビールの開発も試行錯誤の連続でした。枝や葉を折ると爽やかな香りを放つ香木ですが、ビールに使うと香りが強すぎて飲みにくくなる。地元の人の「もっとすっきりとした方がいい」という助言を受け、何度も配合を変え、ようやく納得の味にたどり着きました。
さらに益田の名産・メロンを使ったビールは特に難題でした。鮮度が落ちやすく、少しのタイミングのずれで風味が失われる。何度も失敗しましたが、農家から「今年一番の出来だから、これで挑戦してほしい」と託された実で挑んだ経験は忘れられないといいます。こうした地域の協力が、新しいビールを生み出す原動力になっているのです。
「一番の魅力は水が綺麗なことです。蛇口をひねれば冷たい天然水が出てくる。これがビールのおいしさの源なんです」
そう語る上床さんにとって、自然だけでなく人の存在も大きな支えです。
「地元の方が“頑張れ”と声をかけてくれる。その応援があるから続けられるんです」
最後に、「私はビールをつくること自体が目的ではなく、ビールを通じて人と人、都市と地方をつなぎたい。その架け橋になれることが喜びです」と結び、会場は温かい拍手に包まれました。
一問一答 益田での暮らしと夢
トークの後は質疑応答の時間。会場から次々と手が挙がり、実際に暮らす人だからこそ聞きたい質問が飛び出しました。
最初の質問は「移住して一番大変だったことは?」。
上床さんは一呼吸おいて、率直に答えます。
「最初は仕事のバランスですね。でも複業のおかげで安心して挑戦できました」
生活をどう支えるか、という現実的な悩みに共感するように、参加者のうなずきが会場に広がりました。
続いては「都会と地方での暮らしの違いは?」という問い。
「都会は便利だけど忙しい。島根では人との距離が近く、心が落ち着きます」
この言葉に、会場の空気がふっとやわらぎました。実際に暮らす人の実感が伝わる瞬間でした。
最後に「将来の夢は?」と問われると、上床さんは少し笑みを浮かべながらも真剣な表情でこう語りました。
「空港のすぐそばに大きな醸造所を建てたい。降り立った瞬間に島根のビールを楽しめるようにしたいんです」
その場にいた誰もが「面白い!」と感じたようで、大きな拍手が自然と湧き起こりました。
ユーモアを交えつつも誠実に答える姿に、会場全体が温かい一体感に包まれました。
交流から芽生えた想い
イベント後半は自由交流の時間となり、2本目のビールや島根の軽食を片手に、参加者同士の会話が広がっていきました。
「将来は移住してみたい」
「まずは旅行で益田に行ってみたい」
「地方で複業を実践してみたい」
それぞれが思いを語り合い、連絡先を交換する姿があちこちで見られ、会場全体が一つの大きなコミュニティに変わっていきます。印象的だったのは、クラフトビールが持つ「人をつなげる力」です。グラスを交わすだけで距離が縮まり、島根という土地への関心が自然に芽生えていきました。
上床さんの言葉にあったように、移住や複業は特別なものではなく、「自分のやりたいことに挑戦する一つの選択肢」。
「島根の暮らしをリアルにイメージできた」
「クラフトビールを通じて地域に関わる面白さを知った」
この夜の出会いと気づきが、誰かにとっての“新しい一歩”につながることを期待させる時間となりました。