トレジャーフットの新メンバーを紹介するコラム「入社エントリ」山本遥香編
福島県南相馬市出身。新卒で大手ハウスメーカーに入社。コロナを機に関東を離れ、地元へ戻り、南相馬市役所に勤務。3年間、復興・再生するまちづくりに携わり、地域に根差した移住定住促進に取り組む。自らの経験を活かして、日本中により良い「移住定住」「まちづくり」「地域活性化」を実現するためトレジャーフットへ入社。
ひたすら突き進んだ自分の道
私は、自然豊かな福島県・浜通りで生まれ、5人姉妹の3番目として育ちました。小学校3年生から続けてきたバレーボールに真剣に取り組み、勉強との両立を意識して学生生活を送ってきました。新たな夢や更なる自身の成長に期待し、大学進学を機に上京を決意。新卒で建設業界へと足を踏み入れた私は、大手ハウスメーカーの住宅事業部にて日々奮闘していました。
住宅売買は一生に一度の買い物であり、非常に責任感が求められる仕事です。お客様の悩みや背景を理解することも簡単ではありません。その中でもお客様の人生の一部に関われることの嬉しさ、なかには「あなたに案内してもらったから購入を決めました」と言ってくださるお客様もいて、そんな瞬間に大きなやりがいを感じていました。
帰ってきた地元の景色
営業職として働いて3年半が過ぎた頃、コロナ禍に突入しました。東京の大都市から人が消え、こんなにも街の雰囲気は変わるのか、と不安な気持ちだったことを覚えています。この不安な気持ちは自分の仕事だけでなく、プライベートにも影響しました。なんとか立て直そうと転職や引っ越しを試みましたが、状況が回復せず、住みなれた福島へのUターンを決めました。
地元に戻り、心が少しずつ落ち着いていく中で、あらためて自分の住む場所を見つめ直す時間が増えていきました。
私が見た、感じた福島
福島へUターンし、私の目に映る景色は以前とは少し違って見えました。幼少期の記憶、震災当時の地元の景色しか知らない私にとって、まちの復興・再生は驚きを隠せないほどで、「まちの変化」を直に感じたことを今でも覚えています。
私にとっての地元が、「帰れる場所」「心を休めることができる場所」であるだけでなく、まち全体の変化や特色を見せてくれる、新しい魅力を見せてくれる地域になっていました。
生まれ育った南相馬市は、もともと3つの町に分かれていて2006年に合併し、1つの市となりました。また、働いていた小高区には「Next Commons Lab」という地域おこし協力隊制度の拠点でもあり、現地でしかできない事業に取り組む人やまちおこしをしている人たちが多く存在します。そんな雰囲気から私は、誰もよそ者扱いせずに応援してくれる温かさを感じました。これは、福島が震災を経験し、多くの人が一度まちを離れたからこそ育まれた風土なのかもしれません。
福島のことが好きで大切だからこそ、離れて暮らしている今も関わり続けていきたいと思っています。
復興の先へ
ふるさとにUターンをしたタイミングで、南相馬市役所の求人と出会い、小高区地域振興課で働くことになりました。
南相馬市小高区は原子力発電所から20㎞圏内。東日本大震災発生時に、まちに避難指示が出たことから一時的に「居住人口ゼロのまち」となった場所です。2016年に避難指示は解除となりましたが、スーパーやドラックストアがなく、電車も2両編成で1〜2時間に1本しか来ない、という状況でした。
震災から10年ほどが経ち、復興の形は徐々に各地で見えてきています。しかし、「復興」という言葉でひとくくりにできるものではなく、日常のすべてが元通りになったわけではありません。私が在籍していた小高区地域振興課 おだかぐらし担当は2021年4月に発足し、復興・再生を目指し「移住定住促進」に力を入れ始めました。
地域住民の方々が安心して過ごすことができるような施策や小高区のプロモーションを行ったり、福島の魅力を発信してまた福島へ来てもらうための現地ツアーなどを担当。その他にも小高のまちづくり、移住定住促進を行うために「南相馬市や小高区への移住者・移住検討者向けの窓口」、地域の方と移住希望者とのマッチングなどと幅広い分野で活動しました。
徐々にまちの人たちの活動が見えはじめ、移住検討者からは「移住するまでの不安がなくなった」「今日は山本さんに会いにきた」と嬉しい言葉をいただくこともありました。この3年間の活動から、地域のリアルな声を聞くことができたことは、今も私にとって大切な財産です。この場所でみた地域課題はほんの一部に過ぎない、地域によって課題と捉えることは様々あるのだろうと実感しています。
再び生まれ育った福島の環境で過ごすことで、自分が地元を元気にする力になれた達成感とさらに他の地域のことを知りたいという好奇心が芽生えました。
この新たな気持ちを胸に、より多くの人たちとの出会いや刺激を求め、東京へ戻ることを決めました。
トレジャーフットとの出会い
東京に戻り、転職活動をしていましたが具体的なイメージが湧いてこず、まずは今までのキャリアを振り返ってみました。前職の影響もあり、まちが元気になっていく様子をみて、達成感を味わえたことを思い出し、地方創生に携われる会社に絞って転職活動をしました。
その関連として流れてきたイベントの広告がトレジャーフットでした。会社についてもっと知りたいという思いから、2024年秋に開催されたオンライン・リアル両方の採用イベントに参加。茅場町で開催されたリアルイベントでは社員と実際に会って話すことで「とても面白い事業をやっている会社だな」「こんな人たちと一緒に働きたい」と自分の可能性が広がるような期待が生まれました。就職活動では、別の会社とも検討をしていましたがイベントで感じたこのフィーリングを信じてトレジャーフットへの入社を決意したのです。
ありのままで伸び伸びと
2025年2月、期待と不安を胸に初日を迎えました。知らない業界に入社することから、「自分のスキルは通用するのか」「会社や社員全体の雰囲気はどんな感じだろう」と緊張していたのを覚えています。ホームページからは堅く、真面目な印象を受けていたものの実際に社員と挨拶を交わすとその印象は良い意味で裏切られ、話をしていて居心地が良いと感じられました。
私から見たトレジャーフットのメンバーは、ひとりひとりがしっかりと自分を持ち、個性豊かな方ばかりです。仕事とプライベートの切り替えも上手で、肩書ではなく「人」として向き合ってくれるからこそ、気を使わずに話せています。
入社後は、ひたすら先輩の背中を見ながら、日々の業務に励んできました。妙高市で行われたフィールドワークに参加したり、九州支店開設記念パーティーに参加したりと出張やイベントの日々。次々とやってくる業務や出張は私にとって楽しく、期待に満ち溢れた気持ちでいっぱいでした。
現在は、自分が担当する各案件でイベントが開催され始めています。複数のイベントやセミナーを同時進行で進めていることから、毎週のように全国を行き来しています。慌ただしい日々ではありますが、入社当時、前職での地域を盛り上げる仕事が楽しいという気持ちを忘れず、心強いメンバーとともに取り組んでいます。
自分の武器をこの場所で
現在私は佐賀県、新潟県妙高市、そして福島県など全国各地の案件に携わっています。入社後からプロジェクトマネージャーとして走り始めましたが、イベントの準備から行政の方々との連携、当日のファシリテーションまで、1つ1つのイベントや地域によって特色がさまざまです。
各地域で出会う方々から、さまざまな価値観や地域への想いを伺い、自分の中に熱意が生まれる一方、先輩たちの力を前にして自分の未熟さにもどかしさを感じることもあります。ですが、日々過ごしていくうちに「自分ができる手札を増やしたい」「自分という武器を作り、福島をはじめ地域に還元したい」という気持ちが強まっています。
そのためにもまずはプロジェクトマネージャーとして一人前になり、一連の作業を滞りなくこなせるようにしていく、そして目の前の地域に真摯に向き合い、プロジェクトを進めていくことに尽力していきます。
一期一会なこの出会い
入社してからのこの半年間で、会社も大きく成長し始めています。メンバーが増え、支店も開設され、各事業も大きくなってきています。このタイミングで出会えたトレジャーフットという会社、メンバーとのご縁を私はこれからも大切にしていきたいと考えています。
トレジャーフットという場所は、プロジェクトを通じてスキルを磨けるだけでなく、人として成長し、可能性を広げられる仲間がいることも、この職場の魅力です。
地元・福島をはじめ、日本各地、そしてこの会社とのすべての出会いに感謝しながら、これからもまちを盛り上げていけるように自分自身を武器にして挑み続けていきます。