日本の未来が秋田の未来に。クラファン日本初挑戦の1人「武田昌大」がトレジャーフットに参画した理由

トレジャーフットの入社メンバーを紹介するコラム:武田昌大編 

■武田 昌大
1985年秋田県北秋田市出身。立命館大学卒業後、デジタルコンテンツ業界に従事。人口減少・高齢化が著しく進む故郷に危機感を感じ、2011年に起業。秋田と東京の二拠点居住をしながら、米のネット販売や飲食店の立ち上げ、関係人口創出など地域課題解決に取り組む。地方での働き方に課題を感じ、模索する中でトレジャーフットと出会う。総務省地域力創造アドバイザー。日本で最初にクラウドファンディングに挑戦した6人のうちの1人。

トレジャーフットとの出会いと至るまでの景色

ーーー最初に、トレジャーフットを知ったきっかけを教えてください。

武田「きっかけは、辻さんと数年前からFacebookで繋がっていたことです。定期的に流れてくる投稿の中で、トレジャーフットの活動を知りました。九州支店として佐賀にオフィスが立ち上がったというニュースも目にしましたし、採用説明会のイベント写真に、柴田さんが映っていたことも印象的でした。共通の知人だったので、“あ、こういうことをやっているんだ”と目に留まったんです。ちょうどその頃、秋田で新しいことを模索していたタイミングだったこともあり、“軽い気持ちで話を聞いてみようかな”と説明会に申し込みました」

ーーーその頃、秋田ではどんなことを考えていたんですか?

武田「2023年に秋田に拠点を戻して、新規事業の立ち上げに取り組んでいました。でも正直、10年以上やってきた自分のスタイルだけでは、これからの秋田での活性化は難しいんじゃないかと感じていました。地域で何かを起こすには、人・組織・お金、すべての面で、これまでの自分ひとりでのやり方に限界があることを痛感していたんです。だから、いろんな人や組織と連携して、もっと大きな流れの中でやっていく必要があると思っていました」

ーーー説明会に参加してみて、率直にどんな印象を持ちましたか?

武田「強く印象に残ったことは2つあります。1つ目は“T理論”です。初めて聞いたときに、”これ全部できたら地域が元気になるぞ”と思ったんです。地域課題に向き合うときに、パブリック事業やコンサル事業など、要素ごとにバラバラに取り組むのではなくて、すべてを一貫して支援していくという、構造化されたアプローチに共感しました。これまで自分が秋田でやってきた複数の取り組みや事業があるからこそ、“あ、これは間違いない、ここに未来がある”と、直感的に思いました」

ーーーもう一つの印象は何だったでしょうか?

武田「参加していたメンバーの雰囲気がとにかくよかったんです。目指しているところは高いのに、みんな親しみやすくて、どこか温かい。“本気なのに、優しい”っていう、ちょっと不思議なバランスで。それがトレジャーフットらしさなのかなと思いました。イベント中に『サイトウという苗字が多くて、サイトウさんなら採用しますよ』みたいな冗談があって、僕は、実際に、Zoomの名前を“齊藤”にするという、1ボケ入れてみたんです(笑)。受け入れてもらえるかを試したというか、一か八か”サイトウ”に賭けてみようと思ったんですが、すぐに回収してもらって、受け入れられたので、雰囲気や相性含めていいなと思いました(笑)」

田中「僕はそのとき、武田さんが地域活性界で有名な“あの武田さん”だとは全く気づいてなくて。オンラインイベント中は、“なんかノリのいい人がいるな”くらいの印象でした(笑)。イベント後に社内で話していたとき、“え、あの人ってあの武田さんなの!?”と驚いて。辻さんや柴田さんもびっくりしてましたし、名前を齊藤に変えるという発想もユーモアたっぷりで、完璧にハマってましたね」

秋田とともに走り続けたこれまでのキャリア

ーーー 自己紹介は、シートで武田さんより共有してもらいましたが、ここまでの経験やキャリアは、武田さんにとって一貫した道だったんですね?

武田「はい。“トラ男”・“シェアビレッジ”・“ANDON”と、表面的には違うプロジェクトですが、全部“秋田のため”という軸で繋がっています。お米を売っていた頃から、どうすれば人が秋田に足を運び、暮らし、働いてくれるのかをずっと考えていたんです。宿泊施設を立ち上げたり、都内でリアルイベントを開いたりもしましたが、それもすべて“秋田に来てもらうため”の仕組み作りでした。点ごとで見ている方からすると、あまり一貫性がないと思われているかもしれません…」

田中「一般の人から見ると、“いろいろやってる人”に見えちゃうんですよね。特に地方では“また違うこと始めたの?”とか“腰が落ち着かない人”って言われがちですよね。でも、話を聞いてるとすごく論理的に、しかも熱意を持って繋がっていて、全部が“秋田を元気にしたい”って思いから始まってるんですよね」

武田「そうなんです。1つの会社の中で複数事業としてやっていれば、分かりやすかったのかもしれませんが、“別の会社を立ち上げた”となると、”あいつはいつも何をやってるんだ?”という、誤解も生まれやすくて。ただ、僕の中では全部同時並行で、地続きでやっていたものです」

ーーーどの事業も“秋田のために”という想いが強いのでしょうか?

武田「まさにそうです。最初は農業でした。“お米が売れれば秋田は元気になる”と思って始めたんです。でも人は減り続けるし、泊まる場所もない。だったら農家民宿をつくろう、通販のお客さんの居場所をつくろう——そんな風に必要に応じて事業を広げていきました。全部、秋田を元気にするための手段だったんです」

入社までの決断と初日の空気感

ーーー採用のイベントは2025年3月初旬から中旬頃でした。そこから4月1日入社なので、決まるまで驚くほどの早さでした。入社に至るまでの流れを教えてください。

田中「イベント後に一度オンラインでお話をして、その後役員の辻さんも入った面談もあり、爆速入社でしたね。1回目で1対1でお話をさせてもらって、意気投合して、”なんだったら4月1日入社でも良いですよ”という話になりました」

武田「説明会に参加したその直後から、“もっと話してみたい”という気持ちが強くなっていきました。自分の中で、“ここに関わる未来があるかもしれない”と感じたんだと思います。田中さんと1対1でオンライン面談をして、辻さんや柴田さんと話す中で、もうこの時点で『入るなら今しかない』という気持ちが固まりました」

ーーー そこに不安はなかったんですか?

武田「不安はなかったですね。やっていきたいと思いましたし、すぐにでも働きたいという思い、ワクワクする気持ちの方が強かったです」

田中「僕自身、その面談のときに“これはもう合流してもらうしかないな”と直感していました。役職とか業務内容といったものは、その時点ではまだ全く決まっていなかったんですが、それよりも“今このタイミングを逃すわけにはいかない”という強い確信があったんです。採用においても、ロジカルな面ももちろん必要ですが、最終的には、“誰とやるか”というカルチャー面を大事にしていたので、もう走りながら一緒に形にしていこうと決めました」

ーーー実際に「4月1日入社」が決まった背景には、どんな思いがあったのでしょう?

武田「メンバー全員がリアルで集まる会(ビジョンデイ)が4月1日にあると聞いて、その日に参加することがどうしても大事だと思ったんです。トレジャーフットでも、リモートワークのメンバーがいると聞いていましたが、僕はリアルで会うことの価値をすごく重視していて。初日で顔を合わせて、一緒に空気を吸って話ができるかどうかで、その後の関係性はまったく変わってくると思っていますし、押さえておきたいポイントだと感じましたね」

ーーーその入社初日、リアルでの顔合わせはどうでしたか?

武田「正直、緊張はしていました(笑)。人見知りなので、“馴染めるかな”って不安はあったんですけど、実際に会った皆さんは本当に話しやすくて、初対面なのに初対面じゃないような、不思議な安心感がありました。トレジャーフットらしい人たちだなと。田中さんのプレゼンにもグッと引き込まれたし、ビジョンの解像度が一気に上がりました。夜の飲み会では、肩の力が抜けた感じでいろんな話ができて、“この場所に来てよかった”と改めて実感しましたね」

ーーーこのビジョンデイという点を押さえられてよかったんですね!

武田「その後の働きやすさが本当に変わったと思います。1日ずれて、4月2日入社とかになっていたら、間違いなく良くなかったと思います(笑)。みんなとの関係性が作れてよかったですし、押さえておかなければならないポイントでしたね」

事業共走部 部長として、いま挑んでいること

ーーーそして、武田さんはこの1ヶ月で、事業共走部の部長としての役割となりました。この辺りについて教えてください。

田中「今現在、地域共走部は、国の案件を多数受けるようになり、予算も人材も増え、影響力も広がってきており、有難いことにとても嬉しい状況です。一方で、創業から我々がやってきた“中小企業・地場産業への支援”である民間に対しての事業は、課題を模索しているところです。僕自身は、この事業共走部は、素晴らしい事業であるという強い思いがありました。民間との事業があってこそ地域にお金を生み出し、本当の意味での持続可能な地域活性につながると信じています。T理論の中核もそこにありますからね」

田中「国の予算を適切に回す力も重要ですが、それ”だけ”では行政からの下請けになってしまうリスクがあります。トレジャーフットは、そこでも価値を生み出すし、自分たちがバイタリティを持って事業をつくっていける会社でありたい。その意味で、武田さんが持つ経験と熱意で、再び火を灯す存在になってくれると思っていますし、期待しています」

ーーー実際にこのポジションを打診されたとき、どう感じましたか?

武田「どちらかというと、僕は“パブリック”(地域共走部事業)のほうが得意な人間です(笑)。行政案件の受託や審査員などの経験もあります。ただ、T理論の構造を聞いたときに、“自分が伸ばすべきスキルは、むしろ事業共走と金融だ”と感じたんです。自分にとっても新しいチャレンジでした」

武田「それに、いわゆる“コンサル”や“補助金ビジネス”って、地方ではあまり良い印象を持たれていません。“口だけ出してる”とか“税金を使ってるだけ”みたいなイメージ。でも、トレジャーフットのコンサルティングは全く違っていて、“共走事業”だと感じました。一緒に悩んで、一緒に成長していく。その姿勢なら、自分も納得して挑戦できると思いました」

ーーーまだ1ヶ月ですが、実際に取り組んでいく中で、手応えはいかがですか?

武田「正直、まだ“勝ちパターン”が見えているわけではありません。でも、だんだんと輪郭がつかめてきた部分もあります。例えば、僕が以前やっていた“お米の通販”の経験。お米=プロ人材、消費者=企業と見立てると、構造がすごく似ていると感じるんです。お客さんのニーズを丁寧に聞いて、最適なプロ人材を届ける。そのプロセスは、お米を売っていたときととても近くて、自然に動ける感覚があります」

武田「それに、地域の企業って、そもそも“人が足りない”という根本課題を抱えていますよね。Webが作れない、SNSがわからない、採用ができない。そういう課題を外部のプロ人材でどう補うか。それを一緒に考え、動けるのが、トレジャーフットの強みでもあるし、僕がここで果たしたい役割だと感じています」

田中「武田さんには、いわば“別会社の社長”のような気持ちでこの事業部を任せたいと思っているんです。これまでのキャリアの集大成を、この場で自由に表現してもらいたい。僕たちは、あらかじめ決まっている”曲”を弾いてもらうようなことはしたくないんです。むしろ“好きな曲を、自分のスタイルで弾き切ってほしい”というスタンスでお願いをしています」

武田「自由って、“普通”を知ってこそ生まれるものだと思っていて。今はまさに、その“普通”を身につけている段階。型を理解した上で、型を破っていけるように、早く次のフェーズに進みたいと思っています」

小さい”川”が合流して海につながる

ーーー最後に、トレジャーフットの今後や未来についてお二人が考えていることを教えてください。

武田「僕の最終的な目標は、“秋田が元気になること”です。秋田に住みながら、ちゃんと働けて、稼げて、暮らせる仕組みを作りたい。それができれば、全国でもきっとできる。秋田は人口減少の最先端地域。だからこそ、ここでやれたら日本全国にも展開できると信じています。秋田のためにやってきたことが、日本の未来と繋がっているし、トレジャーフットで頑張ったことが、秋田の未来にも繋がっている、そんな希望をもらいました」

田中「僕たちトレジャーフットは、“地域課題を本気で解決したい”という仲間と共に事業を進めています。感覚としては、“日本を元気にする”というビジョンのもとに“川”をつくっているようなものです。そこに志ある人たちが一人、また一人と加わり、今、確かな流れになってきています」

田中「今回の武田さんの入社は、“合流”という言葉がしっくりきます。全国には志ある“武将クラス”の人たちが、それぞれに走ってきた流れを持っています。そして今、その合流の機運が高まっている。武田さんのジョインは、まさにその象徴的な出来事でした。たとえ細い支流でも、やがて大きな流れになり、海へと向かっていく。この合流点として加わってくれたことは大きな意味があります。この先、防波堤や何かしらの自然災害のような困難があっても、流れが確かなら海にたどり着ける。僕たちは、そんな流れに“合流してくれる人”を心から歓迎したいと思っています」

武田「そうですね。僕自身、個人の利益のためではなく、“秋田のため、日本のため”という思いで今回の選択をしました。これを読んでいる人の中にも、きっと同じように何かを感じている人がいると思います。そんな方と一緒に、“未来をつくる選択”ができたら嬉しいです」

関連記事